泣ける話

【馴れ初め】付き合っていた頃、突然別れを切り出した彼。数年後、吹っ切るために連絡してみると・・・

無題
157: 名無しさん@おーぷん 2014/10/12( 日)15:24:45 ID:???
思い出して書いてみようと思いました。長くなりそ うなのでお暇な方以外はスルーして下さい。

旦那と知り合ったのは学生時代。春休みの制服採寸のバイトでした。
好きだったアーテ ィストの話で意気投合。
やさしくて朗らかで、よく手際が悪い私のフォローをしてくれていました。
妹扱いされていたので、相手にはされ ないとわかりつつ思いを寄せていました。
どうせこれで最後だと、勇気をだして告白しようと決めたバイトの最終日。
タイミングを見計ら っていたら旦那からドライブに誘われました。
その後の予想外だった旦那からの告白。
私も心臓バクバクになりながら手紙を渡し、その日 から交際が始まりました。
両思いだったことが嬉しすぎて完全に舞い上がっていました。若かった。

喧嘩もしながら付き合いは続き 、就職後おたがい忙しくなってからも連絡は取り合っていました。
ある日、旦那と連絡がとれなくなりました。
マメだったのに数日全く折 り返しもないというのは初めのことでした。
会社の帰りに旦那の家まで訪ねましたが不在。気がかりだったものの、私は出張もあったので長居は 出来ずに家を後にしました。

しばらくして、やっと旦那から電話がかかってきました。
連絡がとれなかったことを詫びられました。
理由を聞くと、歯切れの悪い返事。重苦しさを感じていたところ。旦那から「本当にごめん、別れよう」と告げられました。
何を言われた かわからず頭の中は真っ白。理由は教えてもらえませんでした。
その後、未練がましいのは承知でやっぱり話がしたくて一度電話をかけました。
やっぱり出てくれず、ああもう終わったのだと思いました。

気持ちに整理がなかなかつかず、それからの私はしばらくはずっと抜け 殻でした。
仕事以外に何をして過ごしていたのかもよく覚えていません。
やがて仕事も忙しくなり、気づけば最後に旦那に会った日から2年 近く経っていました。
それでもまだ未練はたらたら。
思えば初めて告白するほど好きになれた人だったし、このままずっと忘れられないん だろうななんて思っていました。
誰かを紹介されても何にも感情がわいてこない。
そんな私に業を煮やしたのか友達がこう勧めてきました 。
「美化しすぎているんじゃない?理由も教えてくれなかったんでしょ。好きな人が出来ていたんだよ。まだ電話が出来るならもう一度会ってみ たら?きっと吹っ切れるよ」
その友達は忘れられなかった元彼に会い、冷めたことで吹っ切ることができたと言いました。

私の場合 は、まだ好きなのに会ったら冷めてしまうんだろうかと考えていたのでなかなか電話ができず。
そもそも繋がるのか、繋がったとして番号を見て 私だとわかったらとってくれないんじゃないか。
そうこうしているうちに日は経ち、あと少しで旦那の誕生日という時期になりました。
前 日、思い切って公衆電話から電話をかけると旦那が出ました。

【今日のトメ】結婚式でトメが言った一言に涙。

無題
31: 名無しさん@おーぷん 2014/05/19( 月)10:45:43 ID:R1Ns10AQC
昨日のトメ

昨日、義弟の結婚式があっ た。
つつがなく式が終わってお見送りで並んでる時に
義弟嫁ちゃんのおばあさんが
「義弟嫁ちゃん可愛かった~!
けど、こな いだやった義弟嫁従姉ちゃんはホントきれいでね~、
式場の人からカタログモデルになってほしいって言われてて(以下、義弟嫁従姉自慢)」
と、内孫と思われる義弟嫁従姉の結婚式がいかに素晴らしかったかを自慢しだす。
義弟嫁ちゃんは誰もが振り向くような、とは言わないまでも かわいらしい人なんだけど、義弟嫁従姉ちゃんはミス○○に選ばれてるレベルの美人。
初めは、そうだよね~綺麗だったよね~、とか返してたけ ど、
どんどん表情が固くなって涙目に。
何か言わねば、と思ってたらトメさんが、
「確かに義弟嫁従姉さんは綺麗だけど、私にとっ ては義弟嫁ちゃんが1番綺麗!
こんないい娘が娘になるなんてうれしいし、仕事してて忙しいのに息子のためにご飯もお弁当も作ってくれて、
わたしとも遊んでくれて、こんなかわいくて良いお嫁さんに来てもらえるなんて幸せだ!」
と後半半泣きでのたまった。
つられて義弟嫁 ちゃんは泣き出すし、おばあさんは義弟嫁母と義弟嫁従姉に怒られ、
不幸な結婚式にならずに済んでよかったなぁと思いつつ、義弟もうちょいフ ォローしろよと思ったのは内緒。


今日のトメ
「昨日は、義弟嫁ちゃんが1番、って言ったけど、私ちゃんの花嫁姿もかわいかっ たよ(笑顔顔文字)」
と私宛にフォローメール。
トメが1番かわいいです。

【泣ける話】伯母の話に出てきた「えっちゃん」という人物。忘れていたけど実は私の○○で・・・

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801: 名無しさん@おーぷん 2014/12/01(月)17:47:54 ID:???
マンガとかドラマで見る「記憶が急に甦ってきて」 を、リアルで経験したこと。

大学生の時、親戚の法事で久しぶりに会った伯母(母の姉)と、お寺の小部屋でたまたま二人きりになった時、
「去年ね、あの人が亡くなったのよ。・・・せっちゃん。覚えてる?」と言われ、「誰?」と答えた。
すると「ああーいいの。何でもない の忘れてちょうだい」と伯母が言った。何だかなと思った。

その夜寝てて、切れぎれの夢を見た。朱色の玉のれん、袖を切ったトレーナー 、きしむ板廊下、
くせ毛の髪をポニーテールの人。
それから飛び起きて、その時にはバーーーっと思い出してた。
せっちゃんは、私 が幼稚園に入るまで育ててくれた人だった。

朝を待って伯母に電話すると、伯母は朝から長電話に付き合ってくれて、色々話を聞いた。

私が1歳の時、母が父の浮気にキレて、私を置いて家出したという。
父は浮気相手を家に上げ、子供は不要なので預け先を探してた。
その預け先が「えっちゃん」だった。

えっちゃんは父の知り合いの妹で、一人暮らししてるけど、軽い知的障害があって、
昼間の 短い時間工場で軽作業をし、あとは障害者手当で暮らしてた人だったらしい。
父はその人に白羽の矢を立て、まとまったお金を渡して無期限で私 を預けたのだという。

その4年後正式に離婚しようと母が戻ってきて、私が父の養育でなく知的障害者に預けられてる
と知って、父 とえっっちゃんに憤慨し、すぐ私を引き取ったという。
その後間もなく幼稚園に入れられ、今まで私の人生の記憶はそこからしかなかった。

伯母は子供を残した母の家出に怒り、定期的に父に連絡してたが、私が手元にいないこと
を知らされず、会う機会も作れず、母と一緒に 事態を知ったのだという。

母と一緒にえっちゃんの家に行った伯母は、袖を短く切った大人のトレーナーを着た
私に会ったのだとい う(子供の服を着せるという発想がなかったらしい)。

私を病院に連れて行ったが、予防注射などを打ってなかったり、歩きが年齢相応でな い(外で遊ばせた
ことがなかった)以外、健康状態は普通だったらしい。

伯母は母が私を引き取った後も時々えっちゃんの元を訪れ、 お歳暮やらお中元やらと届けてたという。
去年訪れた時に、えっちゃんの訃報を知ったのだという。

電話を切った後、昔年疑問に思 ってたこと(離婚してるとはいえ父に会ったことすらないこと、
伯母以外の親戚と疎遠なこと、子供の頃の話をすると何故か母が怒ること)が解決 した。

話を聞いて母に悪い感情が浮かぶかといえば、自分も歳のせいかあまりそうでもない。
ただ、干し柿を食べては、干しイモを 食べてはえっちゃんを思い出すようになった。

いつも硬い黄色いご飯、無茶苦茶な色の手編みのこたつ掛け、西城秀樹がテレビに出てたら すぐ
教えないといけないこと、くせ毛のえっちゃんと同じ布団で寝ると顔がくすぐったかったこと。
伯母が訪ねるたびに、私に会いたいと 言ってたらしいえっちゃんにお別れを言えなかったこと。

泣きそうになると、昔えっちゃんに教わった通り、目をビッと横に引っ張ってこ らえる。

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